浜松のこだわりのお酒とオーガニック食品の店 「酒&FOODかとう」

浜松市のこだわりのお酒とオーガニック食品を専門とする店「酒&FOODかとう」です。

TEL.053-485-3536

浜松市西区神ヶ谷町7873-1(神久呂小学校正門前)

忍冬酒特設ページ

家康公が愛した浜松忍冬酒

ここでは、浜松の古くて新しい名産品、徳川家康公が愛飲した酒「忍冬酒」についての説明をしています。
 ご購入はこちらから
忍冬酒の美味しい飲み方はこちらをご覧ください。
 

家康公の名言

「堪忍は無事長久の基
  何があっても耐え忍ぶことを覚えよ
    決して怒りを外に表すなかれ」 
 

浜松の知られざる名産品、忍冬酒

浜松の方でも聞きなれないお酒、忍冬酒。
甘い本格みりんをベースにし、僅かな苦味のある忍冬草を漬け込んだこの薬草酒は、実は浜松市の名産品なのです。
 
広辞苑  広辞苑2

薬味酒として発展

浜名納豆と並ぶ浜松を代表する食文化遺産の一つで、
家康公が健康長寿を全うした要因の一つに挙げられるのが薬味酒「忍冬酒」。
健康おたくの家康公が薬草を煎じるシーンが、テレビや映画でも度々出てきます。
当然、漢方薬・忍冬(スイカズラ)が持つ効能は熟知していたことでしょう。
 
 さて、朝鮮半島、琉球諸島、直接大陸からと、
3つのルートで蒸留技術が日本に伝わったのは、16世紀中頃と言われています。
 
蒸留することで高アルコールが造られ、結果として酒の腐敗は免れることになりました。
ここで注目して頂きたい事は、果実酒・薬味酒作りに使われるホワイトリカー。
これこそ蒸留酒で、主な原料は米・麦・ブドウ。
 
出来上がりは全て無色透明、ゆえにホワイトリカーという名がつけられました。
 日本酒・ビール・ワイン等の醸造酒よりもアルコール度数が高く、そのため保存性も良い事は
当然ですが、それ以上の役割があります。
 
薬草を煎じる場合の欠点は、火入れによる成分変化です。
それに比べホワイトリカーの場合、水の分子より小さいアルコール分子が、
ゆっくりと果実や薬草の成分を抽出します。つまり最高のエキス抽出方法です。
浜松忍冬酒は、日本酒を蒸留した米焼酎を使って忍冬のエキスを十二分に抽出しました。
 

忍冬とは

漢名「忍冬」和名「スイカズラ」学名「ロニセラ」
 
大辞林の説明は、「スイカズラ科の蔓性の木本。山野に自生。
葉は楕円形で対生し、冬でも残っているので忍冬(にんどう)ともいう。
6,7月ごろ、葉のわきに2個ずつ並んでつく白色の花は蜜腺をもち、のち黄色に変わる。
通称、金銀花とも言われる。漢方で、葉茎や花を解熱・解毒に用いる。」
 
冬場にも葉を落とさず、耐え忍ぶことから命名される。
 

忍冬酒とは

素材は、忍冬(スイカズラ)の葉と茎。(本によっては花を漬けこむ場合もあります。)
これを米・米麹と本格焼酎(つまり本格みりん)に漬けこみ、エキスを抽出した薬味酒です。
 
 忍冬酒は、忍冬(スイカズラ)の薬効を期待した薬味酒の一種として、
戦国時代から徳川家康公を筆頭に愛されてきました。
 
 「果実酒を作ろう」という本の中では、ルテオリン、芳香精油などの有効成分が含まれているので、
昔から不老長寿の酒として珍重されてきました。
疲労回復に効果が大きいほか、解毒作用があるので、腫れ物などができやすい人、
冷え症やむくみのある人などが用いても効き目があります。
 
博物館  博物館2
浜松市博物館に展示されている忍冬酒の徳利。裏には神谷本家吟醸の言葉が刻まれています。
説明文:浜松の名産として、昭和初めごろまで広く出回った薬用酒です。「19世紀末~20世紀前半」
  • 一般向けに徳利入り忍冬酒が販売されていた期間を意味します。

忍冬酒の歴史

三河から徳川家康公が浜松城に入城する元亀元年1570年、神谷権兵衛も同行。
この地で忍冬酒を醸し、家康公に献上したところ大いに喜ばれ、
慶長元年1596年 には名刀「來国俊」一口、金五枚、居宅地拝領のお墨付きを頂戴します。
江戸時代になると、諸国大名を始め地元が生んだ国学者・賀茂真淵も愛飲し、
浜松の名産品にまで発展します。
  • ミニコラム:江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使の一行も、忍冬酒の味わいを絶賛しています。
徳川御三家の紀州尾張を筆頭に、全国でも忍冬酒の製造が始まります。
 
戦国時代から昭和18年まで神谷家が浜松にて造り続けていましたが、太平洋戦争の影響で製造が
中止となりました。戦後、後継者自身は復活の意志はありましたが、その願いはかないませんでした。
 
半世紀の時が経ち、「忍冬酒は浜松名産」と旧広辞苑に記述されていることを知ったお客様から、
「どこで販売していますか?」という問い合わせがあり、私たち遠州地方の酒屋が神谷家の支援を得て
平成9年に復活させました。
改良すること2回、平成23年(2011年)に香料・着色料・糖分等一切無添加はもちろん、
国内産原料100%使用した家康公の時代の味に近い忍冬酒ができました。
 
  • 江戸時代の日韓親善酒
家康公が種をまいた日本と朝鮮の友好親善。
朝鮮から来日した使節団に出されたお酒の中で一番評判が良かったのは、忍冬酒です。
朝鮮通信使副使・趙龍州は1643年の来日の折、鎌刈で出された忍冬酒が大変気に入り、漢詩にこの酒を讃えました。
 
 忍冬酒資料6
忍冬の美酒が蒲刈で出る、 杯にいっぱいで琥珀色が濃い。 口にすると、たちまちのどを通り過ぎ、どうして石を呑んで胸を広げることがあろうか、 (そうせずとも、飲み干せれる程いい酒だ。) 仙人の作る千日酒も、(これにかかると)偽物、 中山の酒などはたいした物でないと今わかった。 漢使について葡萄が手に入ったら、 こんないい酒でみんなを歓ばせたい。
朝鮮通信使の資料を集めた資料館「御馳走一番館」の前に立つ漢詩碑
碑に刻まれた鎌刈(かまがり)とは、現在の下蒲刈町の事です。
 
国内唯一の朝鮮通信使資料館のある、
広島県呉市下蒲刈町の朝鮮通信使&観光ナビから引用しました。
  • ミニコラム:親日家として知られる韓国の故金大中大統領のニックネームは忍冬草でした。忍冬酒資料7